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    • 2010.11.18 Thursday
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    「かけ算の3×5と5×3って違うの?」 1 かけ算はどう教えられているか1

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        みなさん、まさか小学校の教師がかけ算の可換性を知らないとは考えてないですよね。
      じゃあ「あいつら頭が固いからアンチョコにある方法以外はペケにするしかできないんだ」とか「子どもの発見の喜びなんてこれっぽっちも考えてないに違いない」と考えてるのかな。

       それって、みなさんが実際に出会って話している小学校の先生像と矛盾しないですか? それとも、一部にそういうひどい教師がいるようだから、なんとか現場から追い出そうってことなんでしょうか。

       なんかそのあたりのモデルがしっくり来ないんです。
       そして、みなさんこの議論で「子どもの側」に立ちます。それは尊いことのようですが、じつのところ「学校の授業内容がきっちりわかったうえで教わっていない解き方を発見した子ども」の側に立ってるってことです。
       かけ算の可換性という「科学的真理」をふりかざし、学校という組織の理不尽に立ち向かうガリレイのごとき姿。いや、勇ましいようで、かなりの安全地帯ですよね。そこ。

       じっさいには、授業内容がわからなかった結果うろ覚えでやった結果で正解した子もいれば、まったくできなかった子もいれば、授業は聞いてなかったけどかけ算なんて自分で考えてできるからかまわないよー、という子もいれば、塾でこう習ったからその通りにやるよーという子もいるでしょう。

       そのすべての子とともに、そこからわり算や分数の学習まで共通理解を積み上げていかなければならない教師にくらべ、なんとラクな消費者目線。
       関心があるのは、純真な子どもの位置にいる自分が出した答えが満点であるか否かばかり。

       私は、もうちょっと別の見方をできないかと考えています。
       もちろん、私の会っている教師は「本にできるような立派な実践」をしている人や「実践を学ぶため、夏休みの3日間を自腹を切って算数の研究会に来る人たち」ですから、平均値からは外れているところはあるでしょう。
       でも、その人たちの話から、算数教育がどのようにおこなわれているか、いくらかでも垣間見てきました。

       そんなところから、「もしかしたらそのペケにはこんな意味があったのかも」ということを書いていきます。


      かけ算とはなにをする計算か。

      『家庭の算数・数学百科』数学教育協議会・銀林浩+野崎昭弘+小沢健一編、日本評論社では、かけ算の項は以下のように説明されています。

       * * * * * * *

      掛け算
       たとえば、「ウサギには耳が2本あり、ウサギが3匹いるとき、ウサギの耳は全部で何本か」「どの皿にも3個ずつりんごがのっていて、その皿が5皿あるとき、りんごは全部で何個か」というように、同じ数ずつの組がいくつかあるときに、全体量を求めるための演算が掛け算だといえます。
        2本/匹×3匹=6本
        3個/皿×5皿=15個
      ということです。

       一般に、掛け算の働きは
        1あたり量×いくつ分=全体量
      と表されます。
       これは整数にとどまらず、小数、分数にも応用でき、たとえば、
      「1リットルあたり0.8kgの重さのアルコールは、3.2リットルでは何kgか」という問題ならば、

       0.8kg/l×3.2l
      と計算すればよいのです。

       * * * * * * *

       具体的かつ簡潔な記述です。
       ここで重要なところは2点あるとおもいます。それは掛け算の順序ではなく、1あたり量と単位表記です。


      1あたり量がなければ掛け算ができない。

       先ほどの引用中に「同じ数ずつの組がいくつかあるとき」という文言がありました。これがつまり、1あたり量です。うさぎ1匹あたり耳が2本(単位は「本/匹」)、1皿あたりりんご5個(単位は「個/皿」)。
       これが一定でないと、掛け算は成り立ちません。地雷だらけのアフガンやラオスに行けば、100人いたら足が200本という掛け算が成立しないのです。

       小学校の現場ではこういう例は使いませんが、1あたり量がなりたつ場合、なりたたない場合を、かけ算の学習では最初に取り扱います。
       たとえば、8個入りのキャラメルの箱を持ってきて、「いくつある?」と問い、じつは中身はバラバラの個数しか入っていない、というようなことをくり返します。
       教師の問いに子どもが「いくずつつ入ってるか言わなきゃ、わからない」と問いを返せるようになるまでやります。
       とくに特別支援の現場では、ここまでていねいにやらなくても、というくらい様々なケースを提示し、1あたり量が均等であるというのはどういう状態かを提示します。
       これがないかぎり、かけ算にならないのです。

      かけ算は、三者の単位が違う計算

      NeXTSTEP2OSXさんのtwitter上での発言
      @Ajedrecista_JP はいおっしゃる通りで、面積など、新しい単位を創り出すようなかけ算は、この2年生の最初のかけ算をさらに拡張したかけ算の話です。

       このお言葉を返すようですが、かけ算は基本的にすべて、新しい単位を作りだす演算です。
      さきほどの例ですと、提示されている単位は
        (本/匹)×(匹)=(本)
        (個/皿)×(皿)=(個)
      で、それぞれの単位が違います。

      面積の場合は
        (長さ)×(長さ)=(面積)
      で、前2者は同じ量に見えますが、縦の長さどうしを掛け算して面積を出すことはできませんから、やはり縦の長さと横の長さという2種の量から別の量をつくりだしています。
      (蛇足ながら、縦と横が可換だという話に反駁するつもりはまったくありません)

      長方形の面積の場合は横の長さのうちのどの場所をとっても縦の長さは同じでなければなりませんから、やはり1あたり量の原則は守られています。

      で、この単位表記の話、twitter上で「そんなに言うなら単位表記もなくちゃ」という話もありますが、単位表記での指導はじっさいに多くの現場でなされています。
       そして、上記の多少見慣れない方もあるかもしれない単位「本/匹」も、「1本あたりなんひき」または「ほん・パー・ひき」という名称で使われています。
       ただ、あまり日本語になじまない呼び名なので試行錯誤はされているようです。

       遠山啓先生は「本」や「匹」という助数詞が単位ではないとか、算数教育からはないほうがいいという主張もされていました。
      (基本、直接面識・学恩のない人に先生とは呼ばないのですが、白川静先生と遠山啓先生と宮脇昭先生は自然に先生と出てしまいます。唐突感もあろうかとおもいますが、ご容赦ください)

       たしかに助数詞は前につく数との関係で連濁や促音が変化したりしがちで、本筋とちがうところで学習に障壁をもたらしかねないという懸念はあります。
       とはいえ、「本」も「枚」も「本/匹」も普遍単位でないではないものの、単位の一部には違いありません。単位がなければそもそも数えられず、数に変換できないですから。

       遠山先生の助数詞廃止論を読んでいると、なんだか志賀直哉の日本語廃止論が想起されます。日本語はやっかいなところもありますが、そう短絡せずにつきあっていくよりないとおもいます。日本語がどこまでも省力的で便利な「ニュースピーク」になっていくのも見たくないですし。

       さて、単位を使ったかけ算の学習体系は、かけわり図などの図の力を得て、遠山先生の存命時よりはるかに一貫性を持ったものとして発展し、普及しつつあります。
       次回はそこについて書きたいとおもいます。

       設定ミスで、さきほどまでコメントオフになってました、コメントは歓迎です。少数派奮戦中なので個々にはお返事できないかもしれませんが、コメント欄とtwitter上の@メンションには目を通して以降の内容に反映させます。


      「かけ算の3×5と5×3って違うの?」 0 はじめに

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         このトゥギャッターまとめ「かけ算の3×5と5×3って違うの?」をやってみたけど、この論争、基本的には「かけ算に順序がある」派は分が悪い。だって、数学的に意味の薄い、あるいはない順序だから。
        でも乗りかかったものは仕方がない。どうせ参加し、両方の意見に聞くべきところがあるなら、少数派につこう。そのほうが面白いし。

        最初に自分のスタンスを明らかにしておくと、発端となったテスト、

        文章題の解答採点

        このペケが適切な算数指導であったかどうかはわからない。
        一般的に言えば、まちがっているだろう。
        ただ、いくつかの条件を満たした場合にのみ、これが適切なペケだった可能性がある。
        (かけ算の話で×記号を使うとややこしいので以下ペケと呼ぶ)

        それは
        ・そのテストは子どもの将来を左右する重大なものではなく、学級のなかで指導の一環としておこなわれたものである。
        ・「1あたり量」×「いくつ分」=全体量
         という計算表記順序が学級文化として根付いていて、子どもたち相互の説明原理にもなっている。またはそれを企図している。
        ・その計算表記はタイル図やかけわり図のシェーマと連動しており、その先の学習計画に照らしても必然性がある。
        ・そのテストは指導の過程でおこなわれるものであり、その後に教師はかけ算の計算表記の学級での約束事について、このテスト結果にもとづき全体なり個別なりで指導をおこなった。
        そして最重要なのが、
        ・納得のいかない採点について、子どもが声をあげられる文化が学級内にある。

        という条件。

        これを満たせば、指導としてこの採点は「アリ」だったかもしれない。

        ペケより三角がいいという話はあるかもしれないけど、このへんのニュアンスは瑣末な話。
        で、上記のことにはあまり反対は出ない気もする。

        でも、twitterでもその発端のアルファモザイクのまとめスレでも、多くの人がこの採点に激昂している。その理由について、考えていきたいとおもう。

        この採点は、「水からの伝言」や「ゲーム脳」みたいなトンデモ非科学指導ではない(場合もある)と私はおもう。正直やっぱり分は悪い。反対について突き上げていたほうが気が晴れるかもしれない。でも、少数派の側にいたほうが、見えてくるものもある。

        いま書いたような条件を満たす学級は、絵空事なのか。
        いや、そういう学級はあったし、いまもある。全国の学校にそうとうな数あるんじゃないかとおもう。その学級の担任が、突き上げを食うのは忍びない。
        突き上げになら反論もできるけど、誤解をもとに陰口叩かれるのはあまりに気の毒。
        それが、こっち側につく理由だ。


        書いていきたいのはこんなことだ。

        1 算数の指導について
           かけ算とはなにをする計算か/累加との違い/1あたり量の前提としての必要性/単位表記について/立式はなんのためにやるか/シェーマ・立式

        2 学級文化におけるペケの位置づけ
           まちがう場・合意を作り出す場としての学級

        3 テストはなんのためにおこなうのか
           立式は採点になじむか テストと「外」の文化が出会うとき 開かれた学びとは

        4 小学校はガラパゴスか
           万進法とリットル表記/言語によっての違い/中学数学との接続

        5 学校体験について
           「私のなかの小学生」/記憶の変性について/学校体験は被害者体験?/モンスター化はなぜ起こる

        6 教育実践をどう語るか
           意見と介入/「水からの伝言」と「七生養護学校事件」/実践の独立と遊離

        わお。

        1週間くらいは優にかかりそう。
        飽きずにつきあっていただければありがたいです。









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