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    • 2010.11.18 Thursday
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    「かけ算の3×5と5×3って違うの?」 1 かけ算はどう教えられているか1

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        みなさん、まさか小学校の教師がかけ算の可換性を知らないとは考えてないですよね。
      じゃあ「あいつら頭が固いからアンチョコにある方法以外はペケにするしかできないんだ」とか「子どもの発見の喜びなんてこれっぽっちも考えてないに違いない」と考えてるのかな。

       それって、みなさんが実際に出会って話している小学校の先生像と矛盾しないですか? それとも、一部にそういうひどい教師がいるようだから、なんとか現場から追い出そうってことなんでしょうか。

       なんかそのあたりのモデルがしっくり来ないんです。
       そして、みなさんこの議論で「子どもの側」に立ちます。それは尊いことのようですが、じつのところ「学校の授業内容がきっちりわかったうえで教わっていない解き方を発見した子ども」の側に立ってるってことです。
       かけ算の可換性という「科学的真理」をふりかざし、学校という組織の理不尽に立ち向かうガリレイのごとき姿。いや、勇ましいようで、かなりの安全地帯ですよね。そこ。

       じっさいには、授業内容がわからなかった結果うろ覚えでやった結果で正解した子もいれば、まったくできなかった子もいれば、授業は聞いてなかったけどかけ算なんて自分で考えてできるからかまわないよー、という子もいれば、塾でこう習ったからその通りにやるよーという子もいるでしょう。

       そのすべての子とともに、そこからわり算や分数の学習まで共通理解を積み上げていかなければならない教師にくらべ、なんとラクな消費者目線。
       関心があるのは、純真な子どもの位置にいる自分が出した答えが満点であるか否かばかり。

       私は、もうちょっと別の見方をできないかと考えています。
       もちろん、私の会っている教師は「本にできるような立派な実践」をしている人や「実践を学ぶため、夏休みの3日間を自腹を切って算数の研究会に来る人たち」ですから、平均値からは外れているところはあるでしょう。
       でも、その人たちの話から、算数教育がどのようにおこなわれているか、いくらかでも垣間見てきました。

       そんなところから、「もしかしたらそのペケにはこんな意味があったのかも」ということを書いていきます。


      かけ算とはなにをする計算か。

      『家庭の算数・数学百科』数学教育協議会・銀林浩+野崎昭弘+小沢健一編、日本評論社では、かけ算の項は以下のように説明されています。

       * * * * * * *

      掛け算
       たとえば、「ウサギには耳が2本あり、ウサギが3匹いるとき、ウサギの耳は全部で何本か」「どの皿にも3個ずつりんごがのっていて、その皿が5皿あるとき、りんごは全部で何個か」というように、同じ数ずつの組がいくつかあるときに、全体量を求めるための演算が掛け算だといえます。
        2本/匹×3匹=6本
        3個/皿×5皿=15個
      ということです。

       一般に、掛け算の働きは
        1あたり量×いくつ分=全体量
      と表されます。
       これは整数にとどまらず、小数、分数にも応用でき、たとえば、
      「1リットルあたり0.8kgの重さのアルコールは、3.2リットルでは何kgか」という問題ならば、

       0.8kg/l×3.2l
      と計算すればよいのです。

       * * * * * * *

       具体的かつ簡潔な記述です。
       ここで重要なところは2点あるとおもいます。それは掛け算の順序ではなく、1あたり量と単位表記です。


      1あたり量がなければ掛け算ができない。

       先ほどの引用中に「同じ数ずつの組がいくつかあるとき」という文言がありました。これがつまり、1あたり量です。うさぎ1匹あたり耳が2本(単位は「本/匹」)、1皿あたりりんご5個(単位は「個/皿」)。
       これが一定でないと、掛け算は成り立ちません。地雷だらけのアフガンやラオスに行けば、100人いたら足が200本という掛け算が成立しないのです。

       小学校の現場ではこういう例は使いませんが、1あたり量がなりたつ場合、なりたたない場合を、かけ算の学習では最初に取り扱います。
       たとえば、8個入りのキャラメルの箱を持ってきて、「いくつある?」と問い、じつは中身はバラバラの個数しか入っていない、というようなことをくり返します。
       教師の問いに子どもが「いくずつつ入ってるか言わなきゃ、わからない」と問いを返せるようになるまでやります。
       とくに特別支援の現場では、ここまでていねいにやらなくても、というくらい様々なケースを提示し、1あたり量が均等であるというのはどういう状態かを提示します。
       これがないかぎり、かけ算にならないのです。

      かけ算は、三者の単位が違う計算

      NeXTSTEP2OSXさんのtwitter上での発言
      @Ajedrecista_JP はいおっしゃる通りで、面積など、新しい単位を創り出すようなかけ算は、この2年生の最初のかけ算をさらに拡張したかけ算の話です。

       このお言葉を返すようですが、かけ算は基本的にすべて、新しい単位を作りだす演算です。
      さきほどの例ですと、提示されている単位は
        (本/匹)×(匹)=(本)
        (個/皿)×(皿)=(個)
      で、それぞれの単位が違います。

      面積の場合は
        (長さ)×(長さ)=(面積)
      で、前2者は同じ量に見えますが、縦の長さどうしを掛け算して面積を出すことはできませんから、やはり縦の長さと横の長さという2種の量から別の量をつくりだしています。
      (蛇足ながら、縦と横が可換だという話に反駁するつもりはまったくありません)

      長方形の面積の場合は横の長さのうちのどの場所をとっても縦の長さは同じでなければなりませんから、やはり1あたり量の原則は守られています。

      で、この単位表記の話、twitter上で「そんなに言うなら単位表記もなくちゃ」という話もありますが、単位表記での指導はじっさいに多くの現場でなされています。
       そして、上記の多少見慣れない方もあるかもしれない単位「本/匹」も、「1本あたりなんひき」または「ほん・パー・ひき」という名称で使われています。
       ただ、あまり日本語になじまない呼び名なので試行錯誤はされているようです。

       遠山啓先生は「本」や「匹」という助数詞が単位ではないとか、算数教育からはないほうがいいという主張もされていました。
      (基本、直接面識・学恩のない人に先生とは呼ばないのですが、白川静先生と遠山啓先生と宮脇昭先生は自然に先生と出てしまいます。唐突感もあろうかとおもいますが、ご容赦ください)

       たしかに助数詞は前につく数との関係で連濁や促音が変化したりしがちで、本筋とちがうところで学習に障壁をもたらしかねないという懸念はあります。
       とはいえ、「本」も「枚」も「本/匹」も普遍単位でないではないものの、単位の一部には違いありません。単位がなければそもそも数えられず、数に変換できないですから。

       遠山先生の助数詞廃止論を読んでいると、なんだか志賀直哉の日本語廃止論が想起されます。日本語はやっかいなところもありますが、そう短絡せずにつきあっていくよりないとおもいます。日本語がどこまでも省力的で便利な「ニュースピーク」になっていくのも見たくないですし。

       さて、単位を使ったかけ算の学習体系は、かけわり図などの図の力を得て、遠山先生の存命時よりはるかに一貫性を持ったものとして発展し、普及しつつあります。
       次回はそこについて書きたいとおもいます。

       設定ミスで、さきほどまでコメントオフになってました、コメントは歓迎です。少数派奮戦中なので個々にはお返事できないかもしれませんが、コメント欄とtwitter上の@メンションには目を通して以降の内容に反映させます。


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        • 2010.11.18 Thursday
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        コメント
        >それって、みなさんが実際に出会って話している小学校の先生像と矛盾しないですか? 

        しません。そういう目に遭いました。

        > 私の会っている教師は「本にできるような立派な実践」をしている人や「実践を学ぶため、夏休みの3日間を自腹を切って算数の研究会に来る人たち」ですから、平均値からは外れているところはあるでしょう。

        まさにおっしゃるとおりだと思います。

        >そんなところから、「もしかしたらそのペケにはこんな意味があったのかも」ということを書いていきます。

        どんな意味があろうと、誤りは誤りです。創造説の教育にも「意味」はあるでしょう。

        >遠山先生の助数詞廃止論を読んでいると、なんだか志賀直哉の日本語廃止論が想起されます。

        そういう話ではありません。あなたはおそらく理解しておられないが、ここでいう「単位」は、物理学でいう「次元」を表すもののことなんです。ここでいう「次元」とは、「3次元」とか「4次元」とかのような話ではなく、長さ、質量、時間、電流などで表される「量」の性質のことで、例えば力は「質量の1乗、長さの1乗、時間の-2乗」の次元を持ちます。次元の等しくない量は足したり引いたりできませんが、掛けたり割ったりはできます。
        このとき、「次元」のある量同士を掛けたり割ったりすると「次元」同士も掛け算・割り算されます。例えば「長さ=時間×速度」という計算式では、速度は「長さの1乗、時間の-1乗」の次元ですが、これに「時間」をかけると「長さ」の次元を持つ量になります。もう一つ例を挙げると、円の面積の公式「面積=半径×半径×円周率」では、「半径」は「長さ」の次元、円周率は無次元なので、両辺ともに「長さの2乗」の次元になります。
        さてそこで、ここで挙がっている「個」のような「助数詞」は「次元」を表すものではない、というのが遠山のいっていることです。例えば、おはじきを長方形の形に並べたとき、「個数=縦の個数×横の個数」となりますが、このことから「個数」は無次元量でなければならないことがわかります。実際、そうでなければ左辺と右辺の次元が合いません。そもそも、「個数の2乗」などという次元は存在しないでしょう。
        しかしこれは見事なまでに、人文系の人の陥りそうな誤読の典型ですね。遠山が曲解される一因がわかった気がします。

        http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8F#.E9.87.8F.E3.81.AE.E6.BC.94.E7.AE.97.E3.81.A8.E6.AC.A1.E5.85.83

        なお、かけ算の意味についてご教授いただかなくても結構です。私に限らずあなたに反論している人の多くにとって数学は商売道具なんです。「釈迦に説法」はやめていただきたい。
        >じつのところ「学校の授業内容がきっちりわかったうえで教わっていない解き方を発見した子ども」の側に立ってるってことです。

        これは詭弁だな。
        この言い方だけでは、まるで順番は関係ないといっている側が、教わっていない解き方を発見出来なかった子を否定してるような表現に見える。
        しかし、実際の所、順番が関係ないといってる側は、
        解き方を発見した子の側につくと共に、発見していない子を否定する事はしていない。

        むしろ、順番があるといっている側が
        発見していない子の側につくと共に、
        発見した子を否定している。

        何故なら、順番が関係ないといっている側は発見してない子を否定するような言動はしておらず、順番があるという側は5×3をバツにすることによって発見した子を否定しているからである
        • ○い頭を□くする
        • 2010/11/22 2:13 PM
        >かけ算の可換性という「科学的真理」をふりかざし、学校という組織の理不尽に立ち向かうガリレイのごとき姿。いや、勇ましいようで、かなりの安全地帯ですよね。そこ。

        かけ算の順序の是非そのものとは随分ずれてしまっていますね。学校での教え方について外部の人間があれこれ議論することはあっていいと思いますが。

         それから、本当にトンデモな教え方の事例があることはご存じでしょうか?長方形の面積を横×縦で求めて誤答扱いというのが実際にあるのです。


        >じつのところ「学校の授業内容がきっちりわかったうえで教わっていない解き方を発見した子ども」の側に立ってるってことです。

        それは違うと思います。教師の想定した順序と逆にして、なおかつそれを合理化する、つまり、(1つあたり)×(いくつ分)の順序を維持できることに気づいた子が、必ずしも「出来る子」であって、そのような子にバツを付けても問題ない、とは言えません。

        以前、割合が分からない生徒がいて、「10個に分割していくつ分あるか、ということだよ」と説明して「700円の3割は?」と質問しても悩んでいるので、「100円の3割は?」と質問すると「30円」と答えて、程なく210円という正解に行き着きました。

        100円の3割が30円 700円の3割だから7倍して、210円

        ということです。

        これは、1円の3割が0.3円 それが700円分だから 0.3円×700 という考えに近いと思います。

        ところが一般的には、700円の0.3個分ということで、700円×0.3 とすることが多いようです。

        では、この生徒が自分なりに一生懸命考えて、数学的にも全く正しく0.3×700という式を立てた場合に、「順序が逆だから」とバツにするのでしょうか?

        「逆順でも正当化できるということに気づく生徒は、頭が良いだろうから適応できる」という言う人もいますが、「割合は、10等分した何個分」ということだけを頼りに、0.3×700とした子にバツをつけ、「くもわ」だのを暗記して、700×0.3とした子を正解にすることに、どのような意味があるのでしょうか?
        すみません。ちょっと長いですが、ご容赦ください。
        この問題は、数学の内容としての問題なのか、指導法の問題なのかを切り分けて考える必要があると思います。

        まず、情報提供です。

        まず、これを日本のローカルルールと言われている方がいますが、実は、海外でも同様に扱われております。決して日本だけが乗数と被乗数にこだわっているわけではありません。
        http://www.n-ishida.ac.jp/main-office/tyuto/09/kiyou2009/P3.pdf
        ここにあるようにイランやアメリカでも、乗数と被乗数へのこだわりが見えます。英語圏では、言葉自体がこの順序に影響を与えるので、軽く扱う程度と、アメリカの研究者に聞いたことがあります。
        中国では、以前は乗数と被乗数を区別するように学習しておりましたが、新しい教育課程からは、区別がなくなったそうです。理由は、みんな間違うから。それで中学以降の因数を小学校へ持ち込むことになったそうです。

        歴史的な経緯についてですが、昭和25年の学習指導要領試案にその片鱗がうかがえるので、おそらく戦前から、こうした取り組みがあっただろうと推測されます。
        最初の学習指導要領の解説(昭和35年)には、次のように書かれています。
        「この学年では、主として乗法を用いて、同じ大きさの集まりがいくつかある関係をとらえたり、それを表わしたりすることができるようにすることをねらいとしている。また、測定などの指導とも関連して、乗法は、基準にする大きさのいくつ分かにあたる大きさ、すなわち、一つのものの何ばいかにあたる大きさを表わす場合にも用いられることを理解させることも必要である。
         この学年では、このような数量の関係を乗法で表わすことにおもなねらいをおいている。それで、たとえば、5×4を表わした場合に、5が具体的に何を表わし、4が何を表わすかを、明確に言えるようになっていることが必要である。」とあります。
        ちなみに、この解説(指導書)は、文部省発行ですが、矢野健太郎先生などの数学者、数学教育学者が協力して作成したものです。

        次に、前提。
        1 乗法の意味
         情報の意味には、1「同数累加(倍)」,2「量×量(積)」,3「基準量×割合」の3つあるとされています。これは数学教育の立場からも、数学者からもそのように言われております。小学生では、順に学習するようになっており、それを「乗法の意味の拡張」と言っております。

        2 式の意味
         算数・数学で用いられる式には、「式に表す・式をよむ(表現としての式)」と「形式的処理のための式」の2つの意味が、あります。

        3 日本の算数・数学教育の立場
         基本的には問題解決学習で、子どもの多様な考えを認めます。
         「多様な考え」「研究主題」「算数」で検索してみてください。学校等で、研究テーマとして重視されていることが分かるかと思います。

        本論
        さて、この乗数、被乗数と表記の順序について明確に書かれた文献がみつからなかったので、様々な文献で調べた結果をまとめてみます。
        式の意味にかかわりますが、通常の立式から答えを求めるまで、2つの過程があります。まず、状況を式に表す段階です。そしてその式を形式的処理をして答えを求める段階です。この形式的処理の段階では、交換法則を使ったり、結合法則、分配法則などを使い、数を形式的に扱い、答えを求めます。
        そして、最初の式に表現する段階は、状況を表現されたものであるので、ここに交換法則などを適応すると、表現する内容が失われることがあります。そこで、この段階では、交換法則を使わないようにします。交換法則を否定しているわけではありません。

        テストなどでは、伝える相手は教師だけですが、通常の問題解決の学習では、子どもたちがそれぞれ考えた解法を式に表して発表し、そこで話し合います。その際に、共通となるものがなければ、考えが伝わりませんし、逆に相手の考えを読み取ることもできません。
        そうした、話し合いの道具として式を使います。そこでは、ローカルでも何でもよいのですが、共通理解が必要です。それが順序であったりもします。

        「式に表す・式を読む」の学習の典型として次のような学習が挙げられます。
        http://www.jfecr.or.jp/kiyou/h22_39/t1-8.html
        2.3の数式表現の部分ですが、L字型の図形の面積の求め方を式に表現します。L字型を分割したのか、大きい長方形から小さい長方形を引いたのか、そうしたことが式に表現されます。これを他の子どもと共有するようにします。
         ここで(8+3)×4はどのような状況かを考えると、一部を切り取ってもう一つにくっつけて、1
        • 算数マニア
        • 2010/11/29 9:31 PM
        すみません。途中で切れておりましたので、後半を再送します。

         ここで(8+3)×4はどのような状況かを考えると、一部を切り取ってもう一つにくっつけて、1辺が11センチの長方形にして考えられることが読み取れます。こうして式にして処理をすることで、新しい解法が導かれることもあります。
         参考 http://www.kagohara-e.ed.jp/sansuu-6nen-taiseki.pdf

        文部科学省の学力テストの今年度実施のB問題の最初の問題は、「式の意味を解釈する」「自分の考えを式を使って説明する」です。ただ、単純に文章題から式をたて、答えを求めることだけを学習の目標としているわけではありません。

        ですから積分定数さんが書かれていた、
        >これは、1円の3割が0.3円 それが700円分だから 0.3円×700 という考えに近いと思います。
        これは非常に意味のあることです。これも「考え」の表現です。この子どもの表現は、順序を変えたことに意味があります。なぜ変えたのでしょうか。それは考え方が違うからでしょう。ですから、この子どもも順序にはこだわっています。そうしたことを大切にしたいです。
        同じ考えを複数の違う方法で表現すると混乱しますが、違う考えをこうした形で表現して、クラスで共有すると、他の子どもからいろいろな意見が出てきて、より学習が深まります。

        1960年代の文献では、子どもに授業をする際に、「構造方程式・求答方程式」や「問題の式・計算式」と2種類の式を立てさせる実践などもありました。それぞれ、「表現のための式・形式的処理のための式」です。そうすることで、表現するための式をより定着できるようにしていたようです。

        ただ、小学校では専科ではないので、こうしたことを理解していない教師も多いようです。それをもって、日本の算数教育を代表しているような議論は、あまり適切ではないと思います。
        • 算数マニア
        • 2010/11/29 9:32 PM
        >ただ、小学校では専科ではないので、こうしたことを理解していない教師も多いようです。それをもって、日本の算数教育を代表しているような議論は、あまり適切ではないと思います。

         現実に勘違いしている教師が多数いるわけで、そこが議論になるのは仕方ないと思います。近くの国立大学に電話して、教育学部数学専攻の教授と話をしました。教科書や問題集を出している出版社にも電話しました。かけ算の順序に拘ることの意義を説明されました。同時に、長方形の面積を縦×横で求めるのと誤答とするのは無意味であるし、当該のような問題でも、児童が理解しているなら順序に拘る必要はないといっていました。私は、順序に拘ることの意義自体に懐疑的ですが、そこは譲るとしても、はたしてそのような算数教育の専門家の意図が、正しく教師に伝わっているのか甚だ疑問です。

        例えば、5皿に3個ずつを5×3だと5皿が3つで15皿になる、などということを言う教師がいます。

        答えの単位がかけ算の左側の単位に一致するなどというルールは存在しないのに、このようなルールが捏造される。

         「かけ算の意味を理解させる」という目的のための手段のはずのかけ算の順序が、目的となり「答えの単位がかけ算の左側の単位に一致させる」などという方法が提示される。この段階で、本来の目的はどこかに行ってしまう。機械的に単位にのみ注意すれば「ただし順序」になるので、かけ算の意味の理解にはつながらない。さらに「答えの単位がかけ算の左側の単位に一致」がルールになってしまう。

        つまり、

        「かけ算を理解させる」目的のための手段としての「かけ算の順序」

        手段である「かけ算の順序」を「正しく」書かせるための「答えの単位=左側の単位」という手段

        手段の手段である「答えの単位=左側の単位」のルール化

        捏造したルールを論拠に、「5×3は15皿で誤り」と強弁する教師

        「かけ算の順序に拘ることの意義」がどれだけ説得力があったとしても、現実にこのような勘違いをしている教師が多数いる訳です。
        積分定数さん

        議論は、そこだったんですか?
        一般化された内容論か指導論の議論かと思っておりました。

        教師の力量の問題でしょうか。
        それについては、議論の土台となる明確な情報を持っておりません。
        実際にそういう教師が多いのかどうか。
        • 算数マニア
        • 2010/11/30 1:24 AM
         議論の全体像がどうであるかは分かりませんが、私自身は、かけ算の教え始めの段階でであれば、順序に拘る教え方にそれほど抵抗感を感じないかも知れません。「嘘も方便」とも言います。

         それでも「4人に3個ずつ蜜柑を」という問題で、遠山啓いうところの「カード配り」で、4個が3つブント考えることも不自然ではないので、「逆順=誤答」とすべきでなく、児童に聞くべきだと思います。

         問題なのは、市販の問題集でもそうですが、「順序を正しくすること」が小学校6年に至るまで標準的なこととされていることです。

         教師個人がかけ算を理解させるために創意工夫して、「順序に着目する」という方法を考えたのなら実害はそれほどないかもしれません。それでも、数学的真理や美しさをないがしろにしているわけで、方法として望ましくないとは思いますが。例えば、最初に足し算の連続で書くように指示するとかもありかと思いますが、遠山啓信奉者が「かけ算は累加ではない」と反対すると思います。

         問題は、順序に拘ることが、「標準的なこと」とされそれが高学年まで適用されることです。ミクシィの数学コミュでこの話題が出たときも、数学専攻の小学校教師が、このようなことに異を唱えたものの、「学校の方針だから」と認められなかったと報告しています。

         そうなると、あまり算数・数学を理解していない教師(が大多数だと思う。理解していないというのは、算数レベルの問題が解けないと言う意味ではなく、算数・数学の面白さとか何が本質的で何がどうでもいいことなのかを理解していないということ。)も、順序に拘る教え方をすることになり、その元々の主旨(私自身はこれ自身に懐疑的ですが)などどこかに行ってしまうことです。

         で、全く持ってナンセンスな状況が生じ、「何だこりゃ?」となって驚いた人がネットに書いたりすると、

         中途半端に事情が分かっていて、順序に拘ることが目的になってしまっているナンセンスな授業については知ってか知らずか、

        「かけ算の考え方を定着させるためなのです。答えが合えばいいのではなく、その意味が大切なのです。こういう教え方に文句を言う人は、そこが分かっていない」

        などと言うのです。

         例えば、速さ・時間などの関係式を「みはじ」や「はじき」で教えるのは、小学校でかなり広く行われているようです。かけ算の順序に拘る教師が、「みはじ」などを教えるわけです。

         「考え方を大切にするため」なら、なぜ「みはじ」や「くもわ」などを教えるのか、甚だ疑問です。
        >一般化された内容論か指導論の議論かと思っておりました。

        一般的に力量が不足している教員が多数いる、という状況で、一般的にかけ算の順序に拘るという指導がなされている、

        といことで弊害が出ているのなら、

        「そういう指導は妥当なのか?」という一般的な指導論になると思います。

         理想の教師が理想的に教える状況を考えて、どう教えるべきなのか?

        というのも議論されてもいいのかも知れませんが、

         現実に算数・数学を理解していない教師がいるわけで、

        >ただ、小学校では専科ではないので、こうしたことを理解していない教師も多いようです。

        という話と

        一般的な指導法の議論は切り離すことは出来ないと思います。

        >教師の力量の問題でしょうか。
        それについては、議論の土台となる明確な情報を持っておりません。
        実際にそういう教師が多いのかどうか。

        私も明確な情報はないので推測するしかないのですが、たとえばこのようなかけ算の順序の議論で、現役教師や元教師が「5×3だと5皿が3つで15皿になります」などとコメントすることがあります。そのような認識自体が根本的に間違っているわけですが、それを正しいと信じ込んでいる教師が少なからずいるのだと分かります。

         また私自身は塾で主として高校生を教えていますが、難関大学の理系を目指す生徒も、数学は解法や公式を覚えて当てはめるものというような認識です。教育学部にいく人の大半は、算数・数学の主旨を理解していないと考えざるを得ません。


         3時間で12劼垢垢燹6時間では?
        これを、「2倍だから、24辧廚箸靴燭蕁■隠押爍海濃速を求め、それを6倍するという手順を踏んでないからと誤答にした

        テストの穴埋め
        直方体の体積=( )×( )×( )
        立方体の体積=( )×( )×( )

        両方、縦×横×高さ としたら立方体の方は誤答。正解は一辺×一辺×一辺

        「正方形は長方形ではない」と教える

        「20本の花がある。5本で1つの花たばをつくると、花たばはいくつ出来る」

        「4束」と答えたら誤答。正解は「4つ」。問題は「いくつ?」だからというのが理由。

        「単位は大切です。長さの単位、時間の単位、色々ある。長さでもm、辧↓僉⊃А垢△襦C碓未禄斗廚任后

        というのを、この教師は勘違いしているように思われる。


        教師自身が算数・数学を理解していたらこんなことしないはず。

        こういった事例は枚挙に遑がない。

        こんな状況で、かけ算の順序に拘らせることに、「かけ算の意味を理解させるために有用な方法です」などとお墨付きをつけたら、 

        長方形の面積を横×縦で求めたら、「公式と違うから」と誤答にする教師も出てくると思う。実際そういう事例が複数あるようです。
        積分定数さん

        議論が拡散しているようで、ちょっとどこに力点を置いたらよいか分かりません。


        「順序にこだわること自体には問題がないことは理解しているが、
        実際には大部分の教師に適切に扱う力量がないので、子どもたちを誤って導いてしまうこともあるので、
        そのような指導をするべきではない。」
        という主張でしょうか。


        • 算数マニア
        • 2010/11/30 9:40 AM
        >「順序にこだわること自体には問題がないとは理解しているが

        順序にこだわること自体に疑義があるが、それは指導方法として議論可能な部分。微積分を小学生に教えるかどうか、が議論可能というのと同様。

        >実際には大部分の教師に適切に扱う力量がないので、子どもたちを誤って導いてしまうこともあるので、
        そのような指導をするべきではない。」

        大雑把に言えばそういうことです。教師の想定する順序と逆にしたら、理由も聞かないで誤答にするとか、答えの単位が左側の単位に一致するなんていうのは、そもそも論外で、それが蔓延しているということです。

         小学生に微積分を教えることの利点をいくら列挙されても、

        「xの右肩についている小さい数字を前に持ってきて・・・」というお粗末な指導しかできない教員ばかりで、

        limh→0 {(x+h)^n−x^n}/h
        で求めてた生徒に、

        「教えた公式を使っていない」とバツをつける教師ばかりなら

        やめた方がいいということです。


        いっそ、順序に拘る授業は一切禁止したらいい。そうすれば付和雷同でなんだかよくわからないがそういうことになっているという教師はいなくなる。

        本当に順序に拘る方法が優れていると考える教師は、ルールを破ってでも教えるだろう。「違法行為」をするのだから、批判に対して反論できるだけの論拠を持つことになる。「必要悪」と自覚していれば、きちんと理解している生徒にまで順序を共用することもないだろう。
        >いや、勇ましいようで、かなりの安全地帯ですよね。そこ。
        >そのすべての子とともに、そこからわり算や分数の学習まで共通理解を積み上げていかなければならない教師にくらべ、なんとラクな消費者目線。

         掛け算の順序への異論について、十把一絡げに切って捨てるこういう論法も気になるところ。

         掛け算の順序の是非とは別に、「教師の教え方に異論を唱えること」を批判しているわけである。

         たとえば、「掛け算に拘らない授業」が小学校で行われていたなら、

        ブログ主はどうするのだろうか?

        「順序に拘る教え方にすべきだ」と異論をいうなら、「なんとラクな消費者目線」。
        積分定数さん

        コメントありがとうございます。

        まだ、よく理解できないところがあるのですが。
        教師の力量の問題なら、例えば専科制にするとか、研修を増やせとか、そういう議論になるのではないですか?

        「違法行為」とか「必要悪」とか、掛け算の順序に対する憎悪(?)が見え隠れして、決して論理的なご意見とは思えませんが。

        蔓延しているというのは、どのあたりでわかるのでしょうか。
        まさか、ネットで拾ったトンデモ教師の意見を集めただけではないですね。
        個人的体験で、日本の(世界の)算数教育を語るのも危険なようにも思います。

        私は、数学のよさの一つに、「複雑なものをシンプルにして考えることができる」ことがあると思っております。

        もう少し論点を明確にできませんか。
        • 算数マニア
        • 2010/11/30 6:23 PM
        >教師の力量の問題なら、例えば専科制にするとか、研修を増やせとか、そういう議論になるのではないですか?

        そういう議論になっても構わないですし、そういう提言をしたこともありますが、別にしなくてはならないと言うことでもないと思います。

        現状で、「かけ算の順序に拘る授業」に関して、賛否があるわけで否の立場から意見を述べて構わないわけですよね。

         賛否の議論は決着が付いて、「そういう教え方はよくない」がみんなの共通認識になれば、「教師に力量がないからであって、これを改善するには専任制にすべき」とかそういう議論になるのかも知れないし、現状でそういう議論もあっていいと思いますが、

         「かけ算の順序の指導は妥当だ」という人が少なからずいて、学校現場ではそれが大多数であるのだから、

        それに異議を唱えているのですが、駄目ですか?

        >「違法行為」とか「必要悪」とか、掛け算の順序に対する憎悪(?)が見え隠れして、決して論理的なご意見とは思えませんが。

        「かけ算の順序」に対して、憤りを感じているのは事実でそれは否定しませんし、「憎悪を持っている」と言われても構いませんが、あの文脈で「違法行為」をそういうように捉えるのですか?

        もう一度書きますが、
        ---------------------------------------
        いっそ、順序に拘る授業は一切禁止したらいい。そうすれば付和雷同でなんだかよくわからないがそういうことになっているという教師はいなくなる。

        本当に順序に拘る方法が優れていると考える教師は、ルールを破ってでも教えるだろう。「違法行為」をするのだから、批判に対して反論できるだけの論拠を持つことになる。「必要悪」と自覚していれば、きちんと理解している生徒にまで順序を共用することもないだろう。
        --------------------------------------

        「必要悪」も、そんなに悪い言葉という意識はないのですが。

        >蔓延しているというのは、どのあたりでわかるのでしょうか。
        まさか、ネットで拾ったトンデモ教師の意見を集めただけではないですね。
        個人的体験で、日本の(世界の)算数教育を語るのも危険なようにも思います。

        ネットもあるし新聞投書もそうだし、身近な例で聞いたりもしています。

        また、「かけ算の順序」が教師自身も理解していないというのは、「かけ算の順序」の議論での、現役や元教師の「答えの単位がかけ算の左側の単位に一致する」「3×4と4×3では全く意味が違います」というようなコメントや、
        私自身が、教育委員会や教科書会社、文科省、教職員組合、教材出版社、など思いつく限りの関係ありそうな機関に問い合わせるなどして判断しました。

        勿論推測に過ぎませんが、全国の小学校の授業を視察するわけにはいかないので、推測するしかありません。

        >個人的体験で、日本の(世界の)算数教育を語るのも危険なようにも思います。

        一個人は経験や伝聞から推測するしかないですよね。算数マニアさんが現状の算数教育をどのように認識しているのか分からないですが、そのような認識もまた個人的なものではないでしょうか?

        >もう少し論点を明確にできませんか。

        文章題において、1つあたりといくつ分は視点の違いで逆転しうる。(1つあたり)×(いくつ分)はかけ算導入の1つのとっかかりに過ぎない

        ということを教師は認識して教えるべきだ

        ということです。
        >このお言葉を返すようですが、かけ算は基本的にすべて、新しい単位を作りだす演算です。

        A君の貯金額は10万円
        B君の貯金額はA君の2倍

        10万円×2=20万円

        新しい単位は出来ていませんが。


        >かけ算は、三者の単位が違う計算
        >前2者は同じ量に見えますが、縦の長さどうしを掛け算して面積を出すことはできませんから、やはり縦の長さと横の長さという2種の量から別の量をつくりだしています。

        三平方の定理は、斜辺×斜辺=・・・
        ですよね。同じ物を2個掛けています。

        あと、運動エネルギー=1/2・mv^2

        速さの2乗はどう説明しますか?
        >蔓延しているというのは、どのあたりでわかるのでしょうか。
        まさか、ネットで拾ったトンデモ教師の意見を集めただけではないですね。

        何が蔓延しているのか、どの程度の比率であれば蔓延というのか、よく分かりませんが、

        長方形の面積を横×縦にすると間違い、というのは、かけ算の順序に拘る派からも批判が出ているわけで、数は少ないと思いますが、複数そういう事例があるようです。

         「かけ算の順序」について誤解している教師は相当いると思います。具体的に、何%かまでは知りませんが。

         それから、「正方形は長方形ではない」、「正三角形は二等辺三角形ではない」、つまり特殊が一般から除外されると認識している教師も少なくないようです。

         これは、市販の算数問題集がほとんど、そのようになっていることから推測できます。

         3僉Γ貝僉Γ記僂猟省体の面で長方形のものはいくつあるか? 答え 4つ

        という具合。市販の算数問題集は、現役や元教師が作っているケースが多いようです。


        研修云々の前に、問題ある教え方が是正される仕組みがないのが問題だと思います。

         中学数学の例ですが、明らかに指導力不足の教師がいたし、前述の花束の例も近くの小学校の事例ですが、教育委員会に「例えばそういう事例がある」と言ってもそもそもそういうことに関心がなく、「研修を実施して授業の質向上に努めている」「問題があれば、生徒や親が当該の担任や学校に言うようになっている」というだけでした。本当に地域の学校の授業の質向上に努めているなら、「そういう授業が行われているなら、遺憾である。もう少し詳しく教えて欲しい。」とかなりそうですが。

         上の中学校の教師は小学校に転勤になったようですが、どんな授業をしているのか心配です。

         また、猥褻行為で逮捕された教員が、勤務先ごとで噂になっていたというのもあります。

         学校関係者が「自分の所から厄介な教師がいなくなればそれでいい」ということからそうなってしまうのだと推測します。

         勿論推測に過ぎず、それで論ずるのは危険だと言われるかも知れませんが。

         話がさらに拡散してしまいましたが、

        >教師の力量の問題なら、例えば専科制にするとか、研修を増やせとか、そういう議論になるのではないですか?

        とうことなので、あえて触れました。
        積分定数さん

        まず、議論の前に

        >何が蔓延しているのか、どの程度の比率であれば蔓延というのか、よく分かりませんが、
        これは積分定数さんが、次のように書かれたので、おたずねしたのです。文脈からご判断頂ければ助かります。

        >大雑把に言えばそういうことです。教師の想定する順序と逆にしたら、理由も聞かないで誤答にするとか、答えの単位が左側の単位に一致するなんていうのは、そもそも論外で、それが蔓延しているということです。

        「違法行為」や「必要悪」は、それぞれの言葉に対する感じ取り方でしょう。誰でも授業での指導法を「違法行為」と言われれば気持ちのよいものではありません。
        特に、議論から感情にかかわる表現を排除したいと思いましたので、意図的に書きました。


        さて、本題。

        言葉については次のように区別しています。
        数学の内容:数学という学問の規定されている内容
        学習の内容:学習指導要領で定められている内容
        算数:数学という学問を背景にして子どもに学習指導要領算数編の目標を達成するために構成された教科 算数と数学はイコールではない
        指導法:個々の教師の授業そのものではなく、一般化されたもの


        >文章題において、1つあたりといくつ分は視点の違いで逆転しうる。(1つあたり)×(いくつ分)はかけ算導入の1つのとっかかりに過ぎない
        >ということを教師は認識して教えるべきだ

        「とっかかりにすぎない」かどうかは、異論があります。

        >1つあたりといくつ分は視点の違いで逆転しうる。
         ,海譴蓮肯定します。

        >(1つあたり)×(いくつ分)
        ◆,海僚臀についてを言われているのですね。「(1つあたり)×(いくつ分)の順序は」として考えます。
         この順序は、表現の様式であって数学の内容ではありません。
        例えば、教室といったローカルな場面での共通理解が図れればそれでよいのです。
        表現ですので、自分の中で完結するのではなく、自分の考えを他人に理解してもらえるように配慮する必要があります。
        ぁ仝魎綱‖Г成り立つからといって、中学校の文字式で、xaと表記した生徒がいれば、「ax」のほうが適切だよ、と言うレベルのものです。「xa」と表記した生徒を、自由な発想と認めるのでしょうか。むしろ、「定数と変数に誤解があるのでは」と考えるのではないでしょうか。
        ァ,靴燭って、「高学年であっても、(1つあたり)×(いくつ分)という状況を式に表して、他人に伝える場面においては、表現を共通理解するという意味において、順序にこだわる必要もある」と考えます。

        Α´,砲弔い討蓮∪冓定数さんが書かれた、
        >これは、1円の3割が0.3円 それが700円分だから 0.3円×700 という考えに近いと思います。
        という考え方もあるからです。ただし、これの表現も、この順序で書かれるから、積分定数さんがその意味を理解したのだと思います。700×0.3と立式すれば、他の子どもと同じように考えたと捉えられるでしょう。ですから、式表現には、順序に意味があります。

        А,發Δ劼箸勅業を紹介します。ある意味典型だと思います。
        http://www.kagawa-edu.jp/kasana01/sidouan/2nen/h19-2-02-s.pdf
        ここでは、牛乳の数え方を多様な考えで見ています。実際の授業では、もっとたくさんの数え方が出てきているでしょう。
        決して教師の枠をはめているわけではない。
        ただ、この数え方を式に表現する際には、共通した表現が必要です。
        この教室で縦×横で考えましょうという前提があるのに、5×4と3×4の2つのかたまりで考えた子どもが、4×5と4×3と表現すれば、他の子どもに伝わるでしょうか。
        ちなみに、縦×横には完全にローカルルールで、必然はありません。

        ─,海亮業はもちろん掛け算の導入場面ではありません。そうした授業でも掛け算の順序は、表現として意味があります。

        結論 よって掛け算の順序には表現様式として意味があるので、「とっかかりにすぎない」ことではない。

        多くの教師が理解しているかどうかは別です。

        また、ここは、sudahatoさんのブログです。最初はブログ主への情報提供のつもりでした。ですから、積分定数さんとの議論は、これで打ち切ります。

        sudahatoさん
        長々と失礼しました。
        • 算数マニア
        • 2010/12/01 11:09 AM
        >これは積分定数さんが、次のように書かれたので、おたずねしたのです。文脈からご判断頂ければ助かります。

        >>大雑把に言えばそういうことです。教師の想定する順序と逆にしたら、理由も聞かないで誤答にするとか、答えの単位が左側の単位に一致するなんていうのは、そもそも論外で、それが蔓延しているということです。

        >まさか、ネットで拾ったトンデモ教師の意見を集めただけではないですね。

        つまり、数学マニアさんも、

        「教師の想定する順序と逆にしたら、理由も聞かないで誤答にするとか、答えの単位が左側の単位に一致する」

        というのを「トンデモ」と認識しているのですね。

        そういうことでしたらそういうトンデモは沢山いると判断しています。


        >蔓延しているというのは、どのあたりでわかるのでしょうか。

        お答えします。

        http://www.urban.ne.jp/home/awamura5/tigai23.htm
        TOSSというかつては法則化といったらしいですが、教員の授業研究団体の方です。この団体に関わっている教員は多いようです。

        http://star.ap.teacup.com/applet/hoshimaru/20061121/archive
        私が「算数にはかけ算に順序がある」という衝撃の事実を知ったきっかけの朝日新聞の投書です。

        教員の「抑々 4 × 5 には, 4 の五倍という意味があります。 4 人の五倍では答が 20 人になってしまいます。」という投書に驚きました。

        小学校教員の書き込みです
        http://q.hatena.ne.jp/1197768804
        >これが例えば、
        「4人が200円ずつ募金したら全部で何円」
        といった問題であれば、「200が4つだから200×4」というのはまあわかります。
        (4×200だと、「200人が4円ずつ」になる)

        TOSSの人の授業案
        http://www.eonet.ne.jp/~mnzbo645/kakekakerare.htm

        ネット情報だけでなく、色々聞くに、「とにかく順序を正しくさせること」が目的になっていると思える指導が多いようです。

        >交換法則が成り立つからといって、中学校の文字式で、xaと表記した生徒がいれば、「ax」のほうが適切だよ、と言うレベルのものです。「xa」と表記した生徒を、自由な発想と認めるのでしょうか。むしろ、「定数と変数に誤解があるのでは」と考えるのではないでしょうか。

        aとxについては明確な基準があるかどうか分かりませんが、

        3x を x3と書いたら私も注意します。数学の本質とは関係ない約束ごとではありますが、慣習ですよね。

        しかし、「定数を前に、文字は後ろに」というルールは、どうすればルールに合致してどうすればルールに反するのかが明確です。

        (1つあたり)×(いくつ分)は、視点の違いで逆転しうるので、

        どちらの順序がルールに合致して、どちらが違反したのか明確ではありません。

        「かけ算は大きい数×小さい数の順序で」

        数学的も算数教育的にも無意味であっても、こういうルールであれば従うことは可能ですが。

        >ただし、これの表現も、この順序で書かれるから、積分定数さんがその意味を理解したのだと思います。700×0.3と立式すれば、他の子どもと同じように考えたと捉えられるでしょう。ですから、式表現には、順序に意味があります。

        私自身はかけ算の順序なんて全然意識していなかったです。700×0.3や0.3×700は、仮に順序派の主張どおり、「(1つあたり)×(いくつ分)の順序に従うとしても、どちらも正当化できる例として挙げました。また、「逆順でも正当化できるとわかる生徒は出来る生徒なんだから、誤答にしても問題ないだろう」というような意見への異議でもあります。

         自分なりに必至に考えて、割合をやったりかいしかけて0.3×700と式を立てた児童に、バツを付けるのでしょうか?
         
         意味も分からず「くもわ」を丸暗記すれば順序は間違わないのでしょうが。

        >ですから、積分定数さんとの議論は、これで打ち切ります。

        よろしければこちらにどうぞ↓
        mixコミュ 
        算数「かけ算の順序」を考える
        http://mixi.jp/view_community.pl?id=4341118
        >私自身はかけ算の順序なんて全然意識していなかったです

        これは正確には違いかな。a×bが、aがb、bがa、どちらも意識に上るというか、どちらも意識に上らなくて、要するに抽象化されたa×bという認識で、それはaがbであり同時にbがaであるという認識だが、

        あえてどちらか一方を選べ、と言われたら

        いくつ分×1つあたり

        ですね。

        ベクトルや行列のスカラー倍はスカラーを左側に書くし、

        300

        というは、3が100個というよりも、100が3個という認識。

        3aも、3がa個というよりもaが3個のイメージがある。

        もちろん、小学校で(いくつ分)×(1つあたり)の順序に書かせればいいと言う話ではない。教師の視点から見た(いくつ分)と(1つあたり)しか認めないと言うこと自体がナンセンス。
        >「違法行為」や「必要悪」は、それぞれの言葉に対する感じ取り方でしょう。誰でも授業での指導法を「違法行為」と言われれば気持ちのよいものではありません。
        特に、議論から感情にかかわる表現を排除したいと思いましたので、意図的に書きました。

        まあそれぞれの感じ方なんでしょうね。そもそも「禁止したら」という仮定の話であるので誰が「気持ちの良いものでない」のか分からないし、私は、法を犯してでも信念を貫くということで、それはそれでいいと思うと言うことで書いているわけで、むしろ禁止されたぐらいで、順序に拘る教え方を引っ込めるような人の方に対して、「所詮その程度の教え方」といっているわけで、むしろ、そういう人の方に不快感を持って欲しいのですが。

         もちろん「法を犯して信念を貫く」が一般的に褒められるとも批判されるとも思っていません。信念の内容と違法行為の内容によりけりです。日の丸・君が代拒否とかベトナム戦争の脱走兵なんかは私的には是。宗教的信念でテロをするのは否、という具合。


        >蔓延しているというのは、どのあたりでわかるのでしょうか。
        まさか、ネットで拾ったトンデモ教師の意見を集めただけではないですね。
        個人的体験で、日本の(世界の)算数教育を語るのも危険なようにも思います。


        こういう言い方の方が不快感を感じさせるように思うけど、感じ方の違いかな?

        純粋に、「蔓延している」という推測の根拠を聞きたければ、

        「蔓延しているというのは、どのあたりでわかるのでしょうか。」

        だけで事足りるのに、この書き方だと

        「どうせネットで拾った情報だけで判断しているのだろう。そういうのは危険だ」

        といっているようにも思える。

        それは行間の誤読で、純粋の論理学的数学的に文字通りの意味しかなく、

        「ネットの情報だけではないと思います。積分定数がそうだというのではなく、一般論として個人的体験で、算数教育を語るのは危険だ」

        という意味かも知れないが、そういうころでいったら私の「違法行為」も非難する意味ではなく、

        「順序に拘る教え方を禁止したら、順序に拘る教え方は『違法』になる」

        というだけの話。

        「Aという行為を禁止したら、Aという行為は違法になる」

        当たり前のことを言っているだけだが。


        >蔓延しているというのは、どのあたりでわかるのでしょうか。


        議論打ち切りと言うけど、これに回答したのだから、「納得した」とか「自分は判断できないが、積分定数が積分定数なりの根拠を持って判断したことは理解した」「挙げられた事例だけでは納得できない」とか、何か一言あってもよさそうなものだが。

        あるいは、「自分はその判断は間違っている」というなら、その根拠を示してくれれば、私もそれを判断材料に加えて判断を変更する可能性もあります。
        sudahatoさん
        もう少しだけ積分定数さんに書きますので、ご理解ください。

        積分定数さん
        コメントありがとうございます。
        残念ですが、私は積分定数さんとは議論ができないと思います。
        それは、以下の理由からです。

        1 ブログでのマナー等について
        ・私のハンドルネームですが、間違えております。
        ・ブログのコメント欄は、ブログ主とのやりとりの場と思っております。したがって、ブログ主が参加されていない状況で、あまりに長い議論はすべきではないと考えます。

        2 議論が整理されていないこと
         論点を絞ることを提案して出されたのが次の論点です(ABは私がつけました)。
        A 文章題において、1つあたりといくつ分は視点の違いで逆転しうる。(1つあたり)×(いくつ分)はかけ算導入の1つのとっかかりに過ぎない
        B ということを教師は認識して教えるべきだ
         行間が空いているので、積分定数さんも2つの論点だと認識されていると思います。この2つの論点は、Aが成り立たないとBも成り立ちませんね。私は、Aを否定しましたので、必然的にBも否定されると思っております。
         この論点において、Aについて「とっかかりに過ぎないわけではない」という結論を提示しましたが、それについての意見がありません。私は、それが一番大事だと思います。
         その後の3つのコメントは、私が議論の本題以前として書いたものへの意見です。むしろ、また議論を拡散されたとも感じました。さらに、それは、整理したものではなく、思いつきを羅列したようなものです。これでどう議論しろと言うのでしょうか。
         まず、Aについて成り立つかどうか、お互いの意見によって新たにA’を作り上げる、そういう過程があって、次にBについて議論してトンデモ教師が蔓延しているかどうかを検討するのが、筋道だと思います。

        なお、言葉から感じる印象は、人それぞれだと思います。

        以上が積分定数さんのコメントを読んだ「感想」です。
        今後、私への意見、また私の意見を求める際は、ご自身のブログを使われることをおすすめします。私はミクシィには登録しておりませんので、そちらは利用できません。
        また、いろいろと調べられて、ご意見をお持ちのようですので、どちらかの学会に入会して、論文として発表するなり、大会での口頭発表なりされることもおすすめします。
        • 算数マニア
        • 2010/12/02 10:05 AM
        >私のハンドルネームですが、間違えております。

        これは失礼しました。単純なミスです。頭の中では「算数マニアさん」と認識していました。今見て、「数学」と書いていることに気づきました。すみませんでした。


        コメントした後になって、「このことも触れれなよかった」と思って、連投になってしまいました。そういう意味では、「思いつきを羅列」と思われても仕方ないとは思います。

        ただ、算数マニアさんも、マナー云々を言うならもう少し書き方に配慮しても良いように思います。
        >蔓延しているというのは、どのあたりでわかるのでしょうか。

        >まさか、ネットで拾ったトンデモ教師の意見を集めただけではないですね。
        個人的体験で、日本の(世界の)算数教育を語るのも危険なようにも思います。

        >いろいろと調べられて、ご意見をお持ちのようですので、どちらかの学会に入会して、論文として発表するなり、大会での口頭発表なりされることもおすすめします。

        こういう言われ方は気持ちのいいものではないですよ。「そうじゃなくて、積分定数さんの見解が素晴らしいと思ったので、是非学会にという意味だ。文字通りの意味です」とか言うのかも知れないけど、この文脈では皮肉を受け取るのが普通だと思います。

        >まず、Aについて成り立つかどうか、お互いの意見によって新たにA’を作り上げる、そういう過程があって、次にBについて議論してトンデモ教師が蔓延しているかどうかを検討するのが、筋道だと思います。

        Aについては、見解の相違があると言うことで、了解しました。ここで見解が一致しないと、

        トンデモ教師云々が議論できないと言うことでもないと思っていました。

         Aについての見解はどうあれ、現実にはかけ算の順序のみに拘った、ナンセンスな授業が広く行われているとしたら、それは是正されるべきだと思うのですが。

         私は「議論を拡散」したつもりはないのですが、算数マニアさんはAの部分で議論したかったので、そこでズレがあったのではと思いますが。

        >・ブログのコメント欄は、ブログ主とのやりとりの場と思っております。したがって、ブログ主が参加されていない状況で、あまりに長い議論はすべきではないと考えます。

         これに関しては一般的にはそうでしょうが、ブログ主さん自身がかけ算の順序に関して問題提起して、それに関することだから書き込みました。
        誤解がないように書いておきます。

        私自身は、かけ算を教える初期の段階で、

        (1つあたり)×(いくつ分)

        あるいは、累加で4×3は

        4+4+4

        ということをまずは認識させることを否定するものではありません。

        ただし、(1つあたり)×(いくつ分)の順序に固定しても、視点の違いで逆転するので、どちらが(1つあたり)でどちらが(いくつ分)かは、固定できないので、数値の順序だけで正誤を判断すべきでないし、

        「5皿に3個ずつ林檎では、5×3とすると 15皿の意味になる」

        などというのは、論外だと考えます。


        またより抽象的にかけ算を捉えれば、

        順序はどうでもいい、A×Bが、AがB個とも、BがA個とも解釈しうるし、それらは結局同じことなんだ

        という認識になり、それが「かけ算が理解できた」という状態であると考えます。
        それは「かけ算の一部法則が理解できた」というだけに過ぎません。

        かけ算の教育ありかたと数学の乗法の論理的正当性は違います。小学校低学年なら、何度も何度も何度もイヤになるくらい子どもは同じ間違いを繰り返します。

        それを打破するには、数学教育のやり方を優先させるべきです。
        • らんで
        • 2011/02/11 1:33 AM
        またより抽象的にかけ算を捉えれば、

        順序はどうでもいい、A×Bが、AがB個とも、BがA個とも解釈しうるし、それらは結局同じことなんだ

        という認識になり(積分定数 2010/12/02 3:56 PM)



        なりません。
        • tankichi
        • 2014/08/15 2:59 AM
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